慈雲尊者の仏法ー2回目ー
NHK宗教の時間 「慈雲尊者の仏法」の2回目を聴きました。
この前の日曜日の朝に聴くはずが、ついつい聴きそびれてしまいました。
さて、今回のテーマは「いのちと平等」についてでした。
慈雲尊者といえば、十の善行為の説法です。
もともとは釈尊が説き明かした十善戒をこれこそが人の道だと確信して、
多くの人々に分かりやすく説いたのです。
多くの高僧は独自の解釈で仏教の教えを世に伝えているのですが、
この方は基本に忠実に戻ったというところが特徴なんですね。
「十善戒」
<身業>
①慈悲・不殺生戒(憐れみと慈しみの心を持ち、命のあるものを殺さない)
②高行・不偸盗戒(身を慎んで、与えられないものは取らない)
③貞潔・不邪婬戒(身を清らかに保ち、邪な性的関係を結ばない)
<口業>
④正直・不妄語戒(心が正しく真っすぐで、嘘を言わない)
⑤尊重・不綺語戒(敬意の心があり、飾った言葉、戯れの言葉を言わない)
⑥柔語・不悪口戒(やさしい言葉を遣い、乱暴な言葉で他人を罵らない)
⑦交友・不両舌戒(交わりを大切にして、二枚舌を使わない)
<意業>
⑧知足・不貪欲戒(すでに足りていることを知り、貪らないこと)
⑨忍辱・不瞋恚戒(耐え忍んで、むやみに怒らないこと)
⑩正智・不邪見戒(正しい知恵をはたらかせ、道理に反した見解を持たないこと)
こうして改めて十善戒を読むと、
人としては当然大事なことではあるのですが、
わかっていても道を踏み外してしまうのもまた人のサガなのでしょうね。
私なんかも職場では⑤⑥あたりはさっぱりですし、家でなんかもっとひどいかもしれませn(T . T)
それでもこうして、我が身を振り返る機会があることは良いですよね。
今回はおもに①についての講義でした。
十善戒の中でもいのちの尊さについてはもっとも大事な戒というわけです。
このいのちを大切にするという背景には、
平等観が重要なのだということが一番響きました。
慈雲尊者のことばです。
「平等ということを山を崩し谷を填みて一様にすることのように思うは、愚癡の至りじゃ。窮屈過ぎたことじゃ」
「谷は山の高きを羨まず、谷にして足る。山は谷の深きを羨まず、山にして足る」
要するに相手を自分の価値観に当てはめて判断するのは心が狭い、ありままの姿、個性を認めることが平等じゃ〜ということなんですね。
仏教の場合、相手より優っているとか、劣っているとか考えていること自体が煩悩になりますから、いつまでも涅槃の境地に達することができませんね。
私の場合、煩悩のかたまりですので定期的に読んで戒めたいと思います。